大化二年(646年)、法道仙人が黒頭峰(くろつぼ)の山腹に一宇を建立されたことに始まるという古刹。盛時は七堂伽藍を備え僧坊は二十一を数えましたが、明智光秀の丹波攻めによって焼失、文禄元年(1952年)、現在地に本堂と西蔵坊、光源坊、泉蔵坊が再建されました。その佇まいは大山八景の一つに「高蔵寺の晩鐘」として数えられています。山号の宝橋山は、法道仙人が高頭峰に金銀珠玉の架け橋を見たことから名づけられたのだといわれており、現在の本堂は、江戸時代はじめに焼失したものを享保六年(1721年)に復元されたものです。
山門から本堂にかけての寺領は春には桜、夏にはあじさい、秋には紅葉、冬には椿と四季を通じて花の寺として知られています。また丹波篠山もみじ三山の一つでもあります。